私の実感では少量づつ店の在り方や社会が必要としてくれる気分を吸い込んで、自分の中の試験紙から結果を判断しながら行動する。そのように少量づつですから4年目まで長く感じました。
簡単にまとめると一々臆病なんでしょう。スパッと決めないから毎日を気にしている。ですが臆病ゆえ決めたことへの執念は深いのではと思うのです。
いつもふわふわしていて、ニタリと半笑い野郎の私ですが、お店を危ぶむ自体が起きたものなら徹底的に抗います。
そしてそのような日は来ていないし、非常に静かに今のサロンを見つめているのです。そういう静かな日々がとても心地がよく楽しいのです。
3年過ぎて変わったことは、私なりに好きなことを楽しんでも良いという行動です。
以前の職場で出会った美容師に「仙人のようですね」と揶揄されたことがありました。それは心をなくしていたからだと思うのです。
自分の感情を通過した会話なり行動が見つからないのでしょう。話しかけても話しかけなくても内容がなんとなく想像がつく、無言でもさしあたり問題のない存在ですね。
なにせ自分の感情がないのですから、クスノキやイチョウの木などの樹木のようにしずかに佇んでいるだけなのです。そこに楽しむキワードはないわけで、と言うか見つけられないわけで、身のない皮だけでできた魚みたいな。しかし魚ではなく人なので、どうしようにもツマラナイ、ただパクパク息をして無心の世界を漂っていたのです。
だから「仙人のようですね」と言われたのかどうか
その体験の中で光を見たのは今の仕事に没頭できたから、救われるように店を立ち上げることができたからだと思うのです。
また明日も鍵を開けて、お店を続ける喜びは日に日に大きくなって、自分で息をたくさん吸い込んで翌日の朝はさらに目覚めが良くなる。
その喜びに満ちた4年目をスタートしています。
:写真はカラーリング用の器でした。